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野口悦士(種子島)

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昔の話だが、私が結婚式の引き出物を選ぶ時の事。「九州の参加者の方が多い場合は引き出物は、焼き物は避けたほうが良いですよ」と式場のコーディネーターの話であった。私は九州出身なので、参加者の多くが九州から来ることになる。九州の人は焼き物に詳しくて、好みもあって、ものを選ぶのが難しいという理由だそうだ。なるほど、その話に妙に納得してしまった。親戚のおじさんなどに、必ず焼き物にうるさい人が一人はいるのだ。確かに「見る目にのないやつだ」とダメだしされても辛い。話は違うが、中里隆さんは、陶芸家としては日本でも何本指かにはいる大先生。私は九州出身だから、もちろん名前は存じ上げていた。特に九州では特に名が知れている有名陶芸家である。他のエリアでは、女の子(その当時はまだ若かったのだ)が、陶芸家の名前を聞いて「唐津の中里隆さん」という風には結びつかないのが普通だと思うのだ。何を言いたいかというと九州はちょっと独特の文化圏かもしれない。  

記憶が正しければ、中里隆さんの初めて直接見た器は、鉢か何かだったけれどそれは、南蛮の焼〆だった。これは小山富士夫さんの影響でまさに種子島に隆先生が行った時の作品だった。焼〆は、土の表情と焼きの色合いによる素朴な焼き物だから、その作家さんの気持ちやエネルギーがものすごくダイレクトに表現されるのではないかと、勝手ながらに思う。野口君は隆先生の焼〆の写真を見て心動かされてされてしまった。隆先生の作品って直接見るとまた一層素晴らしいけど、なぜか器の写真を見てもとても迫力のある、エネルギッシュな器なのだ。すごい、陶芸家の先生である。

隆先生に弟子入りがかなわなかった野口君、すでに唐津に拠点を移動していた隆先生。しかし野口くんは、種子島で生活をして、種子島焼きを勉強しながら、唐津の隆太窯の隆先生のもとになんどか手紙を書いたそうだ。しかし、そのときは、隆先生はもう弟子はとっていなかったので、「作業を見に来るだけならいいよ・・・」と返事がきたのだという。野口君は唐津に、すぐ行き作業をみせてもらい、熱心に見学したそうだ。それから少し手伝いをさせてもらうようになり、最終的には轆轤のひき方などを見てもらったそうだ。野口君のまじめさが、隆先生は気に入ったのだと思う。それから、アメリカのアンダーソンランチ窯にもアシスタントで同行して、隆さんの直接弟子とは言えないけれど、弟子以上の大きな影響を受けている。

中里隆を通して焼〆に魅せられてしまった野口君。もし、彼が種子島を離れて先生を追いかけて唐津などに居ついてしまえば今の彼の種子島焼きのスタイルはなかっただろう。隆先生は自分の種子島焼きを後継者的に続けているの野口君を頼もしく思っている気がする。やはり、最初に野口君が感じた「いいな~」に一本筋が通っている。なので、彼の焼〆作品にはエネルギーが宿っているのだと思う。

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陶芸家には、みんな違うドラマがある。料理人と少し似ているところもあるかもしれないなぁ~話をうかがうたびに、その作家さんの世界が広がるし、いろいろな運命、経験、感情が作品に反映しているのだとおもう。陶芸家になぜか惹かれるのは、そこの世界観かも知れない。今回、もうひとつ買った焼〆の小皿。もうすでに何度も夕食のおひたしや珍味をのせて使っている、とても良かった。何を盛ってもいいな~これも、どんどん器が育つと思う。野口君もどんどん成長するのだろうな~今回、食事をして話すチャンスがあった、初めての事だったけど、種子島の生活、子供の話、作品の話、いろいろな器のことなど、彼と話が尽きなかった。素朴で一途で少し不器用で、なんだか、とても、いいなーと思う。

話をいろいろ聞いて、また、私はウズウズとし始めた。今度は種子島を訪ねてみよう、また、違う一面が見えてくるに違いないから・・・・・。

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2012年11月29日 12:35に投稿されたエントリーのページです。

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