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2004年06月23日

九段一茶庵汐留店

平成14年12月にオープンしたばかりであるが二度目の訪問となる。当店は、そば名人・故片倉康雄 氏の技術と伝統を受け継いでいる一茶庵系統の名店である。地上200mにあるすばらしい眺望のモダ ンな和食ダイニングであり、夜景は大変すばらしいものでした。 銀月コースを食べる。写真の前菜はかなりの創作料理でありはす芋、焼椎茸、酒盗掛け、ぺティトマ ト、帆立寄せ、あじ白瓜巻き、海苔酢、蛸唐揚、青唐、もろこし、赤ピーマンかき揚げ、まぐろ喉肉、 照り焼き、蔦ソーメン、煮キムチと15種類の食材を利用している。但し残念なのは、ソバを食材に取り 入れてない、ソーメンの代わりにソバを利用すれば完璧だったたと思う。

【住所】 東京都港区東新橋1-8-1 カレツタ汐留46階
【電話】 03-6215-8300
【URL】 九段一茶庵汐留店

片倉康雄と一茶庵
 片倉康雄は明治三十七年、埼玉県に生まれ、二十一歳の時にわずか一週間の見習い修行だけで、東京・新宿にそば屋「一茶庵」を開店。その後、高い美意識と多彩な才能を発揮してそばの技術を磨き、生涯をかけて理想のそばを追及。後にそば名人と呼ばれた人物である。
 
 もともと、そば屋をはじめたのは母親の打つそばに惹かれたからだという。開店当時は客から「まずいそばを食わせる店」として評判が立ち、客が全然入らない時期もあった。ろくな修行もしてこなかった片倉は一念発起し、客からそばを学ぶ姿勢に切り替えた。自分のそばをストレートに批評してくれる客を「刺客」と呼び、彼らからそばづくりの技術と心構えのヒントを会得していったのである。
 
 数年後、片倉に転機がやってくる。そばにとろろの汁をかけた「そばとろ」が学生の間で大評判となり、後に一茶庵の名物となる。 その後、著名な文士や北大路魯山人との交流から、そば打ちの技術だけでなく、素材や道具の選定、器造りなどに傾倒し、そばを包括的に芸術の域にまで高めた。
 
 平成七年に九十一年の人生を終えたあとも、片倉の遺志は多くのそば職人に引き継がれ、「一茶庵」直系店、系列店合わせ、現在でも国内に700人を超える弟子や孫弟子達が「一茶庵」の味を広めている。
片倉英晴
 昭和13年、片倉康雄氏の次男として東京・大森に生まれる。英晴氏は高校時代はプロの野球選手を目指していたが、父・康雄氏は常日頃から一生の仕事にするならそば屋がいいと何度も説得を試みていたという。この説得と、中学生の時から父親の店で手伝いを続けてきたこともあり、最終的にそばの道を選択。高校を卒業と同時に「一茶庵」本店で本格的に修業をはじめた。
 昭和36年から東京の西神田店を任され、50年には日本橋三越内に支店を出店し、成功をおさめた。
 昭和60年、神楽坂に「一茶庵そば・うどん手打ち教室」を開講するため、西神田店の暖簾を下ろす。
 昭和63年には伊東市に移転し、教室を続けた。その後、教室に通えない人にもその技術を伝授するため、講義内容のビデオ製作に着手し、ライフワークとした。
 しかし、惜しくもこのビデオ(『一茶庵輝きの蕎麦』)の完成を待たずして、平成8年11月10日、急逝。
九段一茶庵のはじまり
 九段一茶庵は平成2年に東京の神田神保町に開店。もとは片倉康雄氏の次男英晴氏が昭和36年に西神田で始めた店の流れを汲んでいる。惜しくも英晴氏はそば打ちのビデオ作成後、完成を待たずして急逝するが、かつて静岡・伊東でそばうち教室を開いており、そこで学んだ弟子達が現在の九段一茶庵を守っている。
 一茶庵直系の店ということで、「そば打ちの神様」とまで呼ばれた康雄氏の手打ち技術を継承しているという自負がある。そばの他にも合鴨料理が名物で、夜は連日満席の状態が続く。

<主な参考文献> 『片倉康雄 手打そばの技術』(片倉康雄著/旭屋出版)

投稿者 maejima : 2004年06月23日 11:25

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コメント

片倉康雄さんのお弟子さんたちのお店に行くと一茶庵の蕎麦の本流が感じられますが、それ以上にそれぞれの個性があるような気がしてなりません。このシリーズ買いです。カテゴリを「一茶庵」「砂場」「更科」「藪」等に分けましょうか?

投稿者 kanai : 2004年07月03日 22:04

カテゴリを「一茶庵」「砂場」「更科」「藪」等に分けましょうか?
賛成です、宜しくお願いします。
それぞれの名店の歴史を纏めてみたいですね!!!

投稿者 maejima : 2004年07月06日 16:35

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