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2004年12月21日

庄司屋・山形


【店名】 庄司屋・山形 【電話】  023-622-1380 FAX:023-622-1381 【住所】 山形市幸町14-28   本むら庵の小張信男社長の紹介(庄司屋の5代目の庄司信彦さんが本むら庵で修行されていた)と 山形の友人の紹介で庄司屋へ訪問した。山形のソバ屋では最古の暖簾を誇り、130年の伝統を守りながら現代にマッチしたそばを打つ老舗である。

そば粉は原料を重視し石臼による自家製粉である。そばは十一(そば粉10に対してつなぎ1)である。 板そば1300円の他に更科そば840円、変わりそばもあり、庄司屋フアンが多いようだ。写真の「なめこおろし」はげんぼくなめこ(少し黒っぽい)にそばの実に大根おろしを加えたもので大変美味しく頂いた。店内は広いが、さらに奥には蔵を改造した奥座敷もあり各種宴会にも利用できるように改造されている。

そばの詳細な説明は庄司屋さんのホームページにあるので引用させていただきました。

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口上
当店は慶応年間、山形城三の丸吹張口の堀端にそば茶屋として創業いたしました山形では一番の老舗です。先祖伝来の手打ちそばに徹して、その手法を現代に伝えておりますので腰の強さが特徴です。又、そば粉十割つなぎ一割の「といちそば」で色は少々黒いがその青味を帯びた香と甘味が喜ばれます。さらに、汁の取り方も時代とともに若干の変化があるものの、創業以来の伝統を守り吟味いたしております。今後とも皆様のお口に叶います様一層の精進と努力を重ねますので末長くお引き立て願いあげます。
庄司屋のそば
『といちそば』(やぶそば)
当店のそばは原料にこだわり、昔ながらの石臼挽き自家製粉の粉を使用して、そば粉10につなぎ1のトイチそばです。創業以来138年、伝統を伝えるそば打ちの技で打ち上げるそばは、中太ながら切り口が鋭く、食感、喉ごし共に抜群です。
喉越しと共に味わうそばの香は素晴らしく、威厳さえ漂います。
『さらしなそば』
そば粉を挽いたときに蕎麦の実(玄蕎麦)の一番中心にある澱粉質の粉が更科粉。
この更科粉を使った本格的江戸風そばは、蔵王の樹氷のような純白なそばで、淡白な中にも深い甘味と香を持った味わい深い逸品です。当店4代目が東京有楽町更科の藤村氏よりその技法を伝授されて以来10年の歳月を要して、漸く庄司屋のメニューに登場しました。

庄司屋の名物の1品でもあります『板そば』は山形特有の田舎そばで、そのルーツは振る舞いそばにあると言われております。更科そばと違い太くて腰の強い藪そばで野性味を感じさせます。この藪そばと更科そばの合い盛になった『更科あいもり板そば』が特にお勧めの一品です。

庄司屋のそばはすべて自家製粉の石臼挽きを使用しており、荒挽き粉にして、そばの粒子をきょくりょく生かしてそば本来の味と香を出すように工夫いたしております。

 辛汁(つけ汁)は土佐鰹の本節、利尻昆布を使い、山形の清冽な蔵王水を素に138年間守り続ける伝統の味です。
 尚、そば、つゆ共に保存料、合成着色料など一切使用しておりませんのでお買い求めの場合は商品到着後、必ず冷蔵庫に保管の上、お早めにお召し上がり下さい。(そばは到着日か翌日、つゆは一週間が最適なご賞味期日です)

以下 庄司屋さんのHPより「創業者から5代目までの歴史」を拝借させていただきました。

当店は慶応年間に山形城三の丸にそば茶屋として創業いたしました。
山形では一番の老舗です。江戸末期には、大いに繁昌し、三の丸吹き張り口の堀端に三層楼を構え、
当時の要人が来店したとの事です。

【創業者庄司彦吉】
特に明治の初期には、初代県令「三島通庸」が庄司屋のそばが大いに気に入り、
当時としてはハイカラなワイン「香餐葡萄酒」等を召し上がりながらそばを食したとの事です。
庄司屋の創業者庄司彦吉はボランティア活動を活発に行い、人々の人望を集めたと言われ、
又、身体堅固でそば打ちの名人だったと言う事です。

【 2代目庄司彦次郎】
日露戦争で武勲を立て、金鵄勲章授与されたほどの勇猛果敢な男でした。
青森県の南郷村より玄そばを貨車で買い付け始めたのも2代目で、かなりの事業家でありました。

【3代目庄司彦右ェ門】
当時業界で人気を集めた製麺機をいち早く導入し、
そばが水が流れる如く麺機から出てくる様は時代を考えるにさぞ素晴らしかったであろうと思われます。
又、支那そば(中華そば)なるものも昭和の初期に始めたとの事です。
当時はラーメンの元祖である中華蕎麦がそば、うどんきり無かった時代に大いに繁昌し、
そばと言えば中華そばを指すような勢いだったとの事です。

しかし太平洋戦争が勃発、3代目彦右ェ門は出征し一時休業を余儀なく、以後戦争の為、物不足、
もちろんそば粉、小麦粉など手に入らず、10年間の休業後、昭和30年に営業を再開しました。
以降出前全盛の時代を迎え、そばはもちろんラーメンや丼類まで何でも販売しました。
しかし、そばは手打ちでなければと伝来の手打ちの技法でそば作りをはじめました。

【4代目庄司武彦】
全国津々浦々のそばを研究し、そばの基本は江戸にありと東京の名店を訪ね、
所謂そばに関する神様のような人々の教えを受け、山形のそばとの合体を試みました。
特に、汁に関する事は鰹節から醤油、味りん、汁作りの工程にいたるまで、山形のそばとの相性を研究しました。
そして山形蕎麦研究会を立ち上げ、そば作りからそば汁、そば粉の何たるかを
山形のそば店の若者たちに全てのノウハウを伝授、真に山形そばのレベルアップを図りました。
かって、山形県の青年会長を務め、現在は山形県麺類飲食組合の副理事長として活躍中。

【5代目庄司信彦】
新橋の料亭『花 蝶』へ見習に入り、後に荻窪の『本むら庵』で修行を積み、
『本むら庵』ニューヨーク支店に4年間勤務し、帰国後庄司屋5代目として本店の店長を務め、
百数十年の伝統を伝えるそば打ちの技を継承し頑張っている。


投稿者 maejima : 2004年12月21日 19:21

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